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2001年1月14日〜6月3日

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★2001年6月3日

けっきょく今回の更新も表紙だけでした(--;)。
“忙しい”からナニもできん、というのはあります。
しかし忙しくてもヤルこたァやっている人はいくらでもいるので
あまり理由にならないかも知れんのでありまして。鬱だ氏…

それはさておき今回の表紙のシトロエン11CVだが、現物を見たとき
一瞬オヤ?と思った。“5ナンバー”だったからである。
排気量が2,000cc未満であることは判っていたが、手許の資料を見返してみたところ、
全幅は1,680mmしかないことを改めて知った。なるほど小型車枠には収まるわけだ。

昔のクルマというのは、思いのほかコンパクトである。
しかし、国内では税制の改変、そして世界的にはいわゆる“安全対策”の
錦の御旗のもとに、自動車はウスラでかくなる一方だ。
安全対策が悪いとは言わない(つうか、言えないわな)が、たまに乗る機会のある
ウェイストラインが高くてサイドシルの露骨に分厚い最近のクルマ、どうも肌が合いません。
ウチのBXが、その辺がてんで逆だということもあるんですがネ。
もちろん側面衝突は覚悟しながら乗ってます(笑)


★2001年5月20日

連休明けでガタガタしていたのでちょっと間が空いてしまった。とはいえ今回も
身のある更新じゃないのがなんともつらい。
リンク先のいねむり君のネタに触発されて器材紹介のネタに手をつけたのだが、
とりあえず作ってみたページがIEでメチャメチャな表示になってしまうので
その解決にかなりムダな時間を費やすハメに。
おかげさまで、外はイイ天気なのにこれから寝ます。むぐぅ…


★2001年5月8日

みなさま、黄金週間は如何過ごされましたでしょうか?
私めも間1日の出勤日をはさんで…というカタチで会社を休みはしたものの、
ここぞとばかりの大遠征をするでもなく、かといって溜まった更新作業が
捗るわけでもなく日々は流れてゆき…(^^;)
ただまあチョコチョコと出かけてはおりましたので、以下のとおり成果を貼りつけておきます。ご笑覧下さい。
(撮影はすべてDC3800による)

●4/28

▲583系が上京した日の上野。E231と並ぶのは貴重かも。/上野
 

●4/29

▲いつ来ても狭い東武浅草駅。じつは手前のりょうもう号に乗る用事があったのだった。/
4/29 浅草
 

●5/4

▲車輛は代われど、馬橋駅の風情は以前とあまり変わらないのが嬉しい。
引退間近の『あかぎ号』を訪ねた折の一枚。/流山線 馬橋


▲長いね〜、15輛!じつは密かにお気に入りの常磐103だが、マトモに晴天白日の下で
写真撮ったのはたぶん初めて。/我孫子 マト33編成


▲この日のメインイベントは、やっぱしRASSの蒸機運転。
時には重連もお出まし、ギャラリーを大いに湧かせてくれました。/5/4 成田ゆめ牧場
 

●5/5

▲5日はダラダラと近隣のお散歩に努め?ておりました。
京成三河島界隈のガード下は、なかなかソソられます。/5/5 日暮里−新三河島


▲で、近隣のお散歩のはずが、けっきょく京成+都電を乗り継いで荒川遊園まで
足をのばすことに。園内でつい吸い寄せられたのが、ごらんの豆汽車。
軌間は実測で2ft、動力は恐らくバッテリ。線路敷の上には、直上高架方式で
空中自転車の軌道があるのが特色?!/5/5 荒川遊園


★2001年4月24日深夜

本日は前回やり残した細部微修正を実施。
といいつつ、実はこの間にメデタク1,000hitを突破したのでありました。皆様ありがとうございます。
そしてありがたいことに、これに因んで、リンク先でもあるくらはやし みのるのB級HPのオーナー・
みのるさんから記念画像を頂戴しましたので、ここにお目にかけたいと思います。
チョット意表を突いた“1000”…そういや秩父に流れていった101系は1000という形式だったんでしたっけ。
よくよく見ると左の新塗装車のヘッドマークが…(^o^)。
“へそ曲がり”を自認されるみのるさんらしい計らいに、改めて感謝!でありますが、
じつのところは「早く更新しましょう」というプレッシャーでもあるワケで…ううっ、がんばりまっしゅ(^^;)。


▲撮影&加工:くらはやし みのる


★2001年4月21日

仕事のせいたァいえ、はずかしながら2週間以上も放置プレイになってしまったので、
久しぶりに自宅のPCにかじりつく。で、スキャニングに明け暮れていたら夜が明けて昼も過ぎてしまった。
その成果がいまのところ工作局の各表紙に新たに貼りつけたシャシンだけとは情けなや。
すみませんきょうはもう寝ます…


★2001年4月4日

なんや知らんが年度も変わってしまいましたが、年度が変わるってことで爆発中です。氏ごとが(泣)
おかげさまで実のある更新もままならず、それ以前に人様からいただいたメールのレスが滞りまくってます。
「長者丸から返事が来ない」と訝しがられている皆様、申し訳ございません<(_ _)>。
いちおう死なない程度には生きております…?

ここで瑣末な私事をひとつ。会社で5年以上にわたり酷使に耐えてきた自席の端末が
本日ようやく新台入れ替わりとなり、お払い箱になった。
システムやアプリの度重なるグレードアップにより、末期はHDの残容量が40MBを切るという
ろくでもない状況。ゆえに1日に幾度となく凍りつきながら、電脳オンチで短気な私が
度々キーボードに怒りの鉄槌を下そうとも、物理的にはまったく壊れることのなかった
Thinkpad 365X・社内管理番号『鯉45号(仮名)』。
あぼーんへのハナムケとして、ここに遺影を掲げてせいぜい冥福を祈るとしよう。
しかしながら、きょうやっとこさ微々たる更新をするに到ったのは、新しくやってきた端末が
あまりにも快適だったもんで、ちょっとテンションが上がっているせいもあるかも(^^;)
(注:更新は家でやってます。為念)


最後の晩を迎えた鯉45号。たかだか10.4吋の薄暗い液晶ディスプレイは、私の視力低下にも
多大なる貢献をしたハズである(泣)。終電間際のとっちらかった我が職場にて。


★2001年3月28日

表紙でお目にかけた模型のことをはじめ、ネタはたくさんある…はずなのだが、
更新らしい更新もロクにできない今日このごろです。スミマセン。
氏んだと思われるのもナンなのでなんとか表紙だけは変えてみましたが…
うぐっ、年度末のバカぁ(泣)
とはいいつつもダメ押しで最新画像をいくつか貼りつけておきますのでご覧あれ。


▲3/24・25に東急・電バス博物館で行われたRMMフェスタの呼び物・路面モジュール運転会。
いちおう表紙でお目にかけた私の駄作もエントリーしてきましたが、のべ80台ものモジュールが集まり大盛会でした。
写真はTMSなどでもおなじみの諸星昭弘さんの作品。あいかわらず気がきいてます(^^)。港湾地帯の
エッセンスを遊び心タップリに凝縮した一廓には、有井のDD12モドキもこのハマりよう。 2001.3.25


▲前回の表紙を撮った日にはココへも行ってきた。わが愛し?の上芥見にも
こんなものが来る時代になったとさ。しかしこれはこれでシュールな光景で面白い。 2001.3.19


★2001年3月6日

去る3月3・4日の2日間、北陸に行ってきた。そもそもは有休取って『白鳥』の最後を見届けようという
友人・ボンネッ太君の誘いによるものだが、こちらは色々都合もあって、土曜夕方に東京を出て
現地の安宿にて合流、翌日は日中を目一杯使って鉄チャンをし帰ってくる、という慌ただしさである。
したがって、話題の『白鳥』は返却回送すら見れないことになるが、それについていえば、
過去、たまたま出くわしてしまった富山港線の73形のケースを除いて
あらゆる『最終日』を頑なに避けつづけている私にはある種好都合?でもある(^^;)。
まあ、白鳥はさておいても、北陸には見るものがまだまだたくさんあるのだ。
今回は、個人的には福井の私鉄2社を10年ぶりに訪れること、そして昼間走って
いるボンネット特急を見ることがお目当てとなった。


▲かの251は当然というべきか目に見えるところには見当たらず。252とて引込線の一番奥に押し込められていた。
哀れである。(奥は先に部品取り用?で鬼籍入り済の253) 福井口 2001.3.4/Kodak DC3800

結論からいえば中々の成果だった。行きも帰りもボンネット車に乗れ、京福では
お気に入りの元南海11001を乗り・撮りできたし、福井では異様な高床車の市内乗り入れシーンを堪能。
京福の福井口車庫はすぐ脇を北陸本線が併走しており、国鉄特急の撮影もついでに楽しめた。
しかし、福井を後にする時点で、唯一最大の悔いがあった。
福井の私鉄2社とも、一回もツリカケ駆動の電車に乗れなかったことである。
ここ5〜6年ほど油断しているあいだに、田舎の私鉄でもすっかりカルダン車が
当たり前になってしまっているご時世ではある。ただ、撮影と並んでツリカケサウンドを
楽しむことが、長らく私にとって“遠征鉄ちゃん”の楽しみであっただけに、
現実は理解していても、やはりこのまま帰京するのはどうにも業腹だ。
そこで同行のボンネッ太君に、米原へ早目に辿り着きたいのだが、と提案をした。
新幹線の時間までに、近江鉄道に乗ろうという算段である。

近江鉄道は、今まで本格的に訪問した経験のない鉄道である。
電車どもはどれをとってもどうにもセンスがよろしくないし、かたや数多の古典電機群は、
自分が貨物の魅力に気がついた頃には貨物営業を既に廃止したあとで、
たまにイベントや工臨で動くとはいっても、今さらなあ…という感じ。
しかし、最近出たP誌の私鉄特集号の編集後記に
「(近江鉄道の)米原−彦根間は駅間が長いため、いまどき珍しく走りっぷりのよいツリカケ音が
堪能できる」というようなことが書いてあるのを目にし、それこそ
ツリカケ音を楽しむためだけに訪れてみたい…という気持になっていたのである。

米原には、『しらさぎ』に乗って(作業部表紙参照)1時間半ほど早く着くことができた。
構内の外れにポツンと取り残されたような近江鉄道の乗り場に赴くと、2〜30分ほどの
待ち合わせで電車が来ることが確認された。これなら新幹線の時間までに
彦根まで行って帰ってくることは可能そうだ。
ただ、何が来るかは分からない。西武401くずれの新型?が来る可能性だって大いにありうる。
さて、待つことしばし。我々の目の前に現れたのは…同社オリジナル車体の500形2連だ!
ツリカケ音を響かせながら、ゆっくりホームに進入してくる同車。鮮やかな黄色に
灰帯という何ともいえない塗装、何の変哲もない造作の車体の電車だが、
その瞬間なんと神々しく見えたことか…!


▲この電車が奏でる音に涙しようとは。近江鉄道504+1504 米原 2001.3.4/Kodak DC3800

乗り込んだ車内は、片開扉であることを除けば西武の黄色車とよく似た色遣いでこそあったが、
定刻17時40分、動き出してみれば、車内は一気に懐かしさ満点の音色に包まれる。
電車は延々と力行をつづけ、恐らくは60km以上の速度に達する。
たかが60kmというなかれ、もはやタラタラと走らざるを得ない駅間の短いような支線区にしか
ツリカケ車が生き残っていない昨今、現役ツリカケ車としてはじゅうぶん“高速”の部類に入る。
近江鉄道の米原−彦根間は、途中ひと駅をはさんで5.8km。流山線や北鉄小松線の全線距離に匹敵する。
米原を出てすぐ、車窓右側にJR総研の施設があって、STAR21とWIN350の標本が飾られているのに
一瞬目を奪われるが、あとはもう半ば瞼を閉じながら甲高いモーターの唸りを堪能するばかり。
そのうち、不覚にも涙腺が緩んできた。感動の反面、こんな電車(失礼!)で涙しなければならない
“今”の不甲斐なさもあったかもしれない。
草創期の小田急のそれにも似た不思議な駅舎が印象的な鳥居本駅を出て、トンネルを抜けると
一気に勾配を下りこんで彦根に到着。2駅・約10分の旅は終わった。
約5分後の返しで米原に戻らねばならない。ホーム隅の改札の老いた駅員氏に
片道290円也の料金を払いつつ米原までの返しのキップを求めると、
「えっ、また戻るんですかぁ?」
脇でボンネッ太君がすかさず、古い電車に乗りたかったからだと説明をすると
「あぁ、そらなんか申し訳ないですなぁ、おおきに」
と柔らかな関西弁で返事がかえってきたのが印象的だった。
そのあと、すっかり日の暮れた構内にたむろする元阪和のロコやら不細工なロマンスカー?700系やらを
ダメ押しで撮っているうちに、返しの便が到着。変な顔に改造された元西武の401だった。
車内はワンマン機器を除けばもうさいきんの西武線そのもの。是政線の気分だねえ、などと
2人で言っていたが、そういや是政線もワンマン化されてんだったっけか。諸行無常…。


★2001年2月28日

ようやく体調も戻ってきたので、さらなる更新を実施(っつてカゼがブリ返さなきゃいいが^^;)。
今回はデジカメ館のほかに、“事務局”なる新部局を設け、この日誌はその一項目に格下げ(笑)になりました。
だんだんコンテンツが増えてくると(実質コンテンツは相変わらず増えんがT_T)、マトモな専用ソフトも使わず
ネスケのコンポーザ+タグ直打ちだけでサイト構築をやっている身にはファイル管理がツラくなってくるのも事実。
てなわけで、いまさらながら部局毎のサブフォルダ化に着手したのであった。
事務局はその第一号。他のも順次切り替えていきたいが、
リンクを全部書きなおさにゃイカンのでけっこう手間である。
…うーん、なんかサイト持ちの方むけのハナシになってしまってすいません<(_ _)>。
とかいいながらそのテの話を強引に続けてしまうが、若葉マークサイト持ちの方にご一読(?)をお奨めしたいのが
デトニさんのサイトのリンクで偶々知った“碧電みやさま”さんの碧海電子鉄道の“権現港”なる頁。
そこにはオーナーご自身のサイト構築体験などが綴られている項があるのだが、
webのつくりかたに非常にしっかりした考え方を持たれているのに感銘。ご自身でサイトを立ち上げられて
半年も経たないそうであるが、それを感じさせぬほどいろいろと示唆に満ちた内容だ。
また、そこで紹介されている“HTML文法を採点するサイト”は、サイト持ちはいちど試してみる価値がある。
ちなみに『碧海電子鉄道』、なにも権現港に限らず、旧い名鉄の写真など鉄ネタもたのしいサイトであります。


★2001年2月25日

2月中に正規開業だー、と息巻いてはいたものの、今週はカゼをこじらせて更新は進まず。
完全にダウンするほどの症状ではなかったのですが、カイシャ行って帰ってくるのがせいいっぱいで、
家ではほとんどナニもできん1週間だったのです(T_T)。

きょうは具合もまあまあ良くなったので、気をとり直して“出版局”の水口建設コーナーの表紙をようやくUP。
モデルワーゲンの森川幸一さんからお借りした、20年前の貴重な写真がありますよ(^^)。


★2001年2月19日

本日は唐突にも、リンク集とデジカメ写真館の過去ログを新設しました。
リンクを貼らせていただいたサイトオーナーの皆様、ありがとうございます<(_ _)>
でも、正規開業前にこういう頁(デジカメ館なんて完全に遺産食いつぶし系だし)増やしてていいんだろうか。
単なる現実逃避という説も(--;)


★2001年2月15日・その2

というわけで2/10〜12の連休、ひさびさに遠出をした。9月の連休で富山に行っていらいだと思う。
目的地は東北のある温泉。個人的にたいへん思い出深い栗原電鉄(今は社名も変わってしまったが)の
再訪も兼ねての旅であるが、温泉は栗鉄の終点からさらにバスで
小一時間ほどかかる場所で、半ば秘湯の部類に入らなくもないところだ。
その名は“温湯”と書いて“ぬるゆ”と読む。
温泉は嫌いではないけどそれほど関心もない私が、こんなところへしかも不便な汽車で
わざわざ赴くに到ったわけは、説明するとすごく長くなるのだが、
とりあえずは理由のひとつを写真でお目にかける。


▲雪に埋もれる温湯の宿。ちょっと涙ものの木造旅館である。 2001. 2.11/ Leica M6,M-Rokkor 90mmf4,CH

…人によってはかなり“ムラムラ”が沸き起こる情景ではないかと思いますが、どうでしょう?(^^)
裏手の街道にあやしげな温泉電軌でも走っていたりしたらもう最高なのだが、
現地滞在中、この場所がまんざら2本の鉄条に縁がないわけでもないことも判り、
休みが明けて現実に引き戻されているにもかかわらず、ちょいと湯あがり気分の抜けない私なのだった。

そんなわけで、機会を改め作業部日誌特別編・“温湯紀行”を近々お届けいたします。乞御期待!
(他のコンテンツはどーするんだ、おい…?)


★2001年2月15日・その1〈2月9日のできごと〉

1週間+αぶりの更新となりましたが、また表紙と日誌だけやん…他にも細かいところが
変わってはいますが、半ばまちがいさがしの世界です<(_ _)>。

下記でも触れた国鉄色ボンネットだが、わずか3日後にまたまたご対面と相成った。
きょうは、カイシャの仕事が閑散期であるこの時期にしては珍しく上がりが遅くなったのだが、
帰り際にたまたまあるサイトの掲示板を開いてみたら…とある知人の
『今晩の“能登”に乗って遠征します』という旨のカキコが。
能登って何時だっけ…23時五十何分だよナ…お、いま出ればちょうどいいぞ!てなわけで
端末の電源を落としていそいそとカイシャを辞す。
しかし、上野に着いてみて、今の“能登”が中間改札付きの16番ホームから出ていることを
初めて知ったようなていたらく。定期見られっとマズイから、とりあえず15番のホームから撮るべなと思い
大連絡橋からの長いエスカレータを降りていくと…いましたいました、しかもH01ではありませんことよ!

連休前日の夜行ということもあろうが、週末先頭部には15・16番ホームとも
鉄ちゃんがいっぱいだ(往年のゴハチブームに比べりゃ可愛いものだが、さいきん
古河3号をしょっちゅう撮っててほとんど“ご同業”を見かけなかった身にしてみれば驚異的である)。
同伴出勤のデジカメ子のシャッターを時折押しつつ、つらつらと車止メの方向へホームを歩く。
そして改札寄りまでやってくると…対岸のホームに、柵に寄りかかってかがみ込みつつ
きわめて真剣な眼差しでボンネット車にカメラを向ける知人の“横顔”を認めたのだった。
車止めを回りこんで近づいてゆき、改札越しに声をおかけする。日頃電脳空間上で
お世話になっている、デトニの部屋のあるじ・デトニさんである。
ご当人、「いやあ、なんか“気配”がしましたョ^^」と仰りつつもちょっと驚かれた様子だったが、
こちとら翌日からは機材を抱えて遠征予定の身、お互い連休の健闘を祈りつつ別れる。
時計はすでに発車時刻の23時54分となっていたが、どうも接続待ちで延発の由、
山手線のホームに向かう私の背中越しに、H01編成はまだその身を16番ホームに横たえていた。
 
▲原色H01編成が充てられた急行『能登』の前には…今日ばかりは一躍夜の上野のスタア也。
上野駅16番線 2000.2.9/Kodak DC3800


★2001年2月6日

トートツですが、サイトを移転いたしました。
いや単に、やっと自分ちのプロバイダの不親切極まりないHP開設案内を読み解き、
かつFTP転送ソフトの使い方も理解できた結果こうしてみたワケなんですがね。
これで今後は思いつきサミダレ更新も可能になりますので、どうか皆々様随時監視?を怠りなきよう(笑)。
とりあえず今日の更新は、この日誌だけですが…

ついでといっては何ですが、今日(というかゆうべ)撮ったシャシンを一枚お目にかけます。
なんせかれこれ40日ぶりに上野駅でコイツ↓に出遭えたんでございますから。
近しい方々には、「あの国鉄ギライが一体どうしちまったんだ?!」などと言われてしまいそうですが、
いまどきこのカタチ・この色が近場で見られるのは、普段銀色の四角いハコにしか縁のない身には
なかなかどうしてウレシイことなのであります(^^)。


▲金沢区H01編成@ホームライナー古河3号/上野駅8番線 2000.2.5/Kodak DC3800


★2001年2月4日

今回の更新は、例によってデジカメ写真館だけ(^^;)に見えることと思います…。
ただ、ちょっとした前進がありまして、人から教わったりしてイロイロやった結果
IEでも一部の文字が点滅するようになりました(だからどうしたと言われればそれまでである)。
あと、IEで800*600設定のディスプレイでも見苦しくなく見られるようになったハズ(上に同じ)。
うーん、ンなことばっかやってるからスキャンもブツ撮りも進まねえんだよなァ…先は長い。

ところで唐突ながら、来週の更新はお休み致します。久々に遠征することになりやして(^_^/~)。
その次の週にはオミヤゲ画像などアップできると思いますので乞御期待?!


★2001年1月27日

先週に続き、またしても雪である。しかしたくさん積もった割には途中から雨になって、
地面はグシュグシュ。靴に水が染みて困るじゃねえかこのやろう(-_-)。
今回の表紙(デジカメ館)はじつは別の写真を用意していたのだが、たまたまクルマで東京駅まで
人を送る用があって、ついでに雪景色の写真でも撮るべと魔がさして
駅に上がってみたら新しい200系…てなわけで急遽差し替えてしまいました。
でも、昔は雪が降るとSLRにコダクローム詰めていそいそと出かけたもんだが、
いつしかそんなこともなくなってしまった。忙しいというほかに、そこまでして撮りたいもんが
なくなっちまった、というのがデカい。最近はデジカメ子さんのおかげで
常にナニか写真を撮るようになっただけマシともいうが。

ところで、今日昼過ぎ頃に友人からイキナリ電話があった。いま若林踏切にいるという。
なんでも、旧塗装に化けた玉電の80形(81+82だっけか)が今日サヨナラ運転なので撮りにきたが、
雪のおかげで途中でウヤになってしまったとかなんとか。
サヨナラ運転のことはぜんぜん知らなかったんだが、ああ、もう今日で終わりかね、という感じだった。
思えば、昔は雪が降れば池上線や玉電に行くのが定番だった。
しかし、いかな車内がニス塗りつったって、2つ目玉でカルダン駆動になっちまった時点で、
私の中で70形や80形は終わってしまっている。
まァ、あっしにはかかわりのねエことでござんす…ってことで。合掌。


★2001年1月21日

仮開業、とのたもうてから早一週間、初の更新である。
とはいっても肝心のコンテンツは捗りゃしない。デジカメ写真館こそ差し替えたが、あとは
なんだか表紙の細かい改良に腐心してばかりであった。
デジカメ写真にしても、結果的に前回と同じ日付の上野駅のシャシンになっちまったし。
今や事実上家と会社の往復でしか電車に乗らない日々の中で、写欲らしきものが湧く対象が
結果的に上野駅くらいしかないのでしょうがないのだが。
仮に趣向を変えるにしても、当面は通勤途上のネタしか入荷しようがなさそうだしなぁ。嗚呼。

そういや、私はナゼ“長者丸”なのか?ということを申し上げてませんでしたネ。
私が生まれてこのかた30ン年住んでいた土地の旧地名なのです。汽車の好きな皆様
(たぶんこのサイト読者全員)とか東京の地理に詳しい方であれば大方ピンとくるであろうから、
これ以上詳しくは申しませぬが(笑)。


★2001年1月14日

はじめまして、秘匿名称“長者丸”と申します。
こんなところにわざわざご来訪いただいた皆様に、先づはお礼申し上げます。
とりあえずは友人とこのサイトに居候しての仮開業、
まだ表紙だけしか出来とらんザマですが、どうか御贔屓に。


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