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2001年6月23日〜9月17日

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★2001年9月17日/ああ病み上がりの巻

しばらく表紙の方で告知しておりました通り、いいトシこいてハシカなぞに罹ったおかげで
生まれて初めて(!)入院生活を余儀なくされた。ハシカならではの各種症状が
ツラかったのはもちろんだが、丸10日あまり病室から一歩も出られないとか、点滴のドーリーが
邪魔くさいとか、メシがまずいとかいった瑣末なことにも悩まされた日々であった。
まあシャバには帰ってきたものの、「おまえは免疫力が低下しているから
向こう1ヶ月くらいはムリをするな」という担当ドクターのご託宣通り、やはり病前に比べれば疲れやすい。
そんなわけでしばらく適当にそろりそろりと暮らしていきたい今日このごろなのだが、
会社という魔物の前には戦うだけムダそうである。
上司もムリはするなと口ではいうが、仕事は容赦なく降って沸いてきやがります。
復帰3日目にして、なんで夜中の2時まで会社にいたんでしょうあたしゃ(T_T)

それはさておき、生まれて初めて救急車なるもののお世話にもなったのですが、
やってきたのはハイエースで、これがまた病院食の不味さとタメを張る
筆舌に尽くしがたい乗り心地でありました。
むかし「フランスに行ったら事故に遭ってシトロエンの救急車に乗りてえ」などと
わけのわからないことをホザいていた友人がおりましたが、
私めも今回ばかりはハイエースの車内で高熱にウナされながらも
「なんで東京消防庁はシトロエンXMブレクを救急車に採用せんのかぁ!」とやはり
わけのわからないことを考えてしまいました。でも、退院後自動車関係のシゴトをしている友人に
聞いたところでは、最近増えているダイムラーベンツや国産2tトラックベースの救急車は
かなりマトモになってるハズ、だそうなのですがね。


★2001年8月24日

お盆休みもアッケなく終わり、今はすっかり仕事にもまれるだけの日々です(T_T)。
それはさておき、休みの後半はJAMコンベンションに参加。私もカオを突っ込んでいる
某模型クラブの展示の店番をしつつ、合間に他のブースをウロウロして、
すばらしいレイアウトの数々に感嘆するやら模型に散財するやらだったんであります。
とりあえずアリバイ画像を貼りつけておきますが、やる気があれば
くわしいレポートを追々やってみようかと思っているのであまり期待せずにお待ち下さい。
(9月の模型誌の発売前に間に合わなかったらボツだな…^^;)


▲激走するMTHのドックサイド。後ろの貨車に載っているのはなんでしょう?(笑)
私が居た某クラブのブースでのひとコマ。


▲今回の散財品の一部、杉山のベビー・グースとそれ用の動力装置。
グースのグリルなどにはとりあえず色をさした。現在レタリング思案中…


★2001年8月16日

盆休み前半は、12日に表紙でお目にかけたとおりゆめ牧場へ。
13日には魔がさして小湊鉄道に行った。なんか妙に千葉づくしではある。
小湊は、行ったといっても夕方5時頃で五井にたどりつき
駅の近くの駐車場にクルマを置いて、五井の機関区をちょっと覗き、里見の駅までキハ200形の列車に
乗って帰ってきただけの正味数時間の訪問だったが、いろいろな意味で唸ってしまった。
じつは訪問は10年ぶり・列車に乗ったとなると20年ぶりにもなるのだが、とにかく過去の印象と比して
アキれるほど何も変わっていない。気動車に冷房がついたのと、機関区の隅に並べてあった
保存蒸機に屋根がついたことぐらいなんじゃないか、ってなもんである。

昔は車輛がすべて同形式でとにかく変わり映えしないツマラン私鉄…というのが
ファン一般の評価だった。しかし、頑なに変化を拒んで?きた結果、
いまなお駅舎をはじめほとんどの施設が旧弊な木造のまま、
車輛もオーソドックスな二色塗りの国鉄キハ20系の亜種“ばかり”である。
今や写真系のファンやTVのロケにモテモテというのもムリはなかろう。
漫然とシャッターを切っても、ひと昔ふた昔前のローカル線の風情がいとも簡単に
定着できる鉄道というのは、もはやヘタな地方へ行ってもそうそうお目にはかかれなくなってしまっている。
現地にいる間、古いモノ好きの私の頬は緩みっぱなしであったが、
反面キツネにつままれたような気分だったのも事実である。

話は変わるが、新デジカメ子は夜景にも強いことがゆめ牧場&小湊行きの
ツアーでわかり、ちょっとほくそ笑んでいるところ。
別項の羅須の夜景・下の里見駅とも、デジカメ手持ちである。


▲日のとっぷり暮れた里見駅。 2001.8.13 Fuji Finepix 40i


★2001年8月2日

ひさびさにマトモな更新、つうか本命コンテンツをアップ開始しました(^^V)。
でもきょうはつかれたのでその他のハナシはまたこんど…


★2001年7月20日/新デジ亀子見参!の巻

表紙の写真館を毎回ネームまできっちりご覧下さっている皆様は“ムム?”と思われたかも知れません。
そう、唐突にもデジカメを買い換えました。▼です。

富士写のFinePix 40iなる機種なわけでありますが、端的にいえば、
今まで使っていたコダックDC3800に比べて
1.電源ON時の起動が異様に早い
2.薄いので、スーツのズボンのポケットにも入る
というあたりにクラクラときて買ってしまったのでございますですよ。
コダックのにも愛着はあったのですが、特に1については5〜6秒以上かかる弱点があり、
今まで咄嗟のシャッターチャンスを幾度となく逃して苦い思いをしていました。こと速写性にかんしては
どう逆立ちしてもライカや写ルンですに敵わなかったのです。
ところが、40iは電源入れて1秒半でスタンバイOK。デジカメとしてはきわめて優秀です。
機能面で背に腹は替えられん…ってわけで、DC3800はあえなく引退、ヨメに払い下げられました。

で、因果なのは、1日を前後して仙台のいねむり君(HP)も同じ機種を
買っちまっていた、というあたりでしょうか。
これにも伏線がありまして、先月彼が上京の折、銀座のカメラ屋めぐりに付き合ったのですが、
そのときついでに開店まもない有楽町のビックカメラを冷やかしたさい
たまたまこの機種(厳密には類似の4500i)のデモ機を触ってその起動の速さにオッたまげていたのです。
ようするに、それ以来2人ともこのカメラに脳ミソを支配されていた…ってなわけですな。ハハハ。


★2001年7月10日/この前の日曜日は南海ざんまいでした、の巻

前に述べたとおり、7月1日に大阪へ行ってきた。
理由は、うちのヨメが「(南海の)浜寺公園駅を見たい」と 言い出したことに端を発する。
ヨメは“鉄”ではないが古建築(ごく一部?の人にわかりやすい言い方をすれば、
小林信夫氏がいかにも絵に描きそうな類の建物)が好きなので、
明治生まれの本格的洋風建築である同駅舎は、以前から意識していたらしい。
そして、どうせ行くならと欲が張るのがお約束、同じ南海電車の
“諏訪ノ森”と“紀伊神谷”にも行きたい、とヨメは言い出すのだった。
私ですらピンとこない駅名を出されて一瞬ナニゴトかと思ったが、
なんのことはない、『日本の駅舎百選』とかいう交通公社のガイド本を見て目星をつけたらしい。
諏訪ノ森は幸い?浜寺公園のとなりだが、紀伊神谷はよりによって高野線の山奥である。
行程を組むのは私の役目なので、けっきょく、土曜晩に夜行で出るプランを採ることになった。
ざっと記せば、
・寝台急行『銀河』で大阪入り
・梅田----難波--(『こうや号』)--極楽橋----高野山----極楽橋----紀伊神谷--
 --天下茶屋----諏訪ノ森----浜寺公園----難波
・さいごに大阪市内で、関西住まいのあかぐま先輩一家と落ち合い
メシなど食って新幹線で帰京
…てな具合。

ただ、結果的には、夕方あかぐま氏一家HPの大阪入りがやや遅れることがわかったのを
イイことに?浜寺公園の先は南海を使わず阪堺電車でえびす町へ出て、地下鉄乗り継ぎで桜川へ移動。
私が個人的に行きたかった南海汐見橋駅の訪問を果たしたのち、ふたたび地下鉄で野田阪神へ。
そして阪神電車にたった2駅乗って梅田に戻るというややこしいマネをしていたのだった。
最後は予定どおり、あかぐま氏一家と北新地の串揚げ屋でイッパイやって
700系のぞみ(初めて乗ったが、外観はともかく乗り心地は300系よりマシだったので
マアマア納得)で帰京した次第。
てなわけで、要所要所の写真を以下に並べてみました。ご笑覧のほどを。


▲30000系こうや号に乗るのは十数年ぶり。背後は東武8000系じゃなくて(笑)泉北高速の電車です。難波にて。


▲高野山ケーブルははじめて乗車。タマには索道もおもしろいものですねえ。
お客の大半は高野参りのお年寄りゆえ、階段状ホームでは随所から「ヨッコラショ」「ああしんど」の声が…


▲ケーブル山頂の高野山駅。霊峰高野山の玄関口だけに寺院風をねらった立派な建物。居並ぶタクシーが黒塗りというのもイイ。
ちなみに画面右手はバスターミナルになっていて、『奥の院前』と行き先を掲げたバスがゴロゴロしている。
 
▲高野線・紀伊神谷駅。終点極楽橋の一つ手前の、周囲には♪なんにもない・なんにもない・まったくなんにもない、ってな山間の小駅である。
でも、こんな駅でも改札口はしっかり自動改札化されているのがちょっと可笑しい。ヨメは不満そうだったが。


▲南海本線は堺市のはずれにある諏訪ノ森駅。東京者のわたしには、高架化前の西武中村橋駅がちょいとオーバーラップしたです。
ホームは市電の電停のごとく上下線が千鳥配置で、駅舎も各々独立しているタイプ。難波方面ゆきの駅舎が
”お目当て”のシブい建物なわけであるが、わざとラピート入れて撮ったのでブチコワシです(笑)。


▲(ヨメ的には)最大の目的だった浜寺公園駅。文化財にも指定されているほどの由緒ある駅舎だが、
実際は柱も屋根もペンキが剥げかけてガサガサだったりする。やはりその辺ヨメは不満そうであった。
 
▲浜寺公園駅の駅前通りをちょいと歩くと、阪堺電車の終点“浜寺駅前駅”がある。左写真の駅舎手前にはかつて酒屋があったのだが、
駅前一帯は再開発予定らしく、更地になってしまっていた。反面、おかげで阪堺の駅では手動ポンプの井戸を使っていることを発見(右写真)。


▲トリはかつての高野線の起点・汐見橋駅。そのうらぶれようは期待にたがわぬものだった。
いまでは路線名も“汐見橋線”と改め、高野線急行お下がりの22001系改め2200系2連が、岸里玉出とのあいだをなさけなく行き来している。
改札口の上には昔の古びた路線図がそのまま残されているのが目を惹くが、
よく見ると『この路線図は昭和30年代のものです。現在のものは窓口にお尋ね下さい』というような注意書きが
さりげなく左下隅に張られていて、とくに剥がしたりするつもりはないらしい。
しかし、当の地図は黒ずみまくり、ところどころ破れていたりするあたり、浜寺公園の駅舎がガサガサなのと相通ずるナニかを感じた。
なお、この駅は時刻表とかの路線図でみると、まるで陸の孤島のように思えるが、
実際は地下鉄千日前線桜川駅のスグ近くなので、みんな気軽に(?)行ってみよう。

(*以上写真すべて2001.7.1撮影/Kodak DC3800

きょうびの大阪で鉄ネタといえば、電化したての和田岬線であるとか、
USJアクセスのド派手な103系なんかを見てきてもよさそうなものだが、そのテはまったく
目にすることもなく、私は私で関西私鉄ではもっとも好きな南海電車を堪能し、ヨメもヨメで
紀伊神谷の“なにも無さ”・諏訪ノ森のかわいらしさ・そして浜寺公園の気品溢れる待合室にご満悦であった。
あかぐま家のみなさまも、総員でわざわざ出張ってきていただいてありがとうございます<(_ _)>。
しかし、前日に吹上オフ会や仕事がたて込んでいたおかげで、
翌週は体力的にカナーリ辛かったのであるが…(T_T)。


★2001年7月6日

6月30日のオフ会で撮ったマジメな?写真を上げてみました。ご笑覧をば。(ココ)


★2001年7月1日

下記の小オフ会から帰ってきてひと寝入りしていたら、
昼ごろ同僚からのトラブルを告げるデンワで叩き起こされ出社のハメに(泣)
じつはというと、その日の晩『銀河』で大阪に向かう用がありました。
会社へ逝って睡眠時間が削られたぶん、寝台車でグッスリ寝られたという説もありますが…

で、大阪では当然というかネタをいろいろ拾ってきたのですが、
まだ整理がつかないので詳細次号とさせていただきやす<(_ _)>


★2001年6月30日/早朝ボンネット撮影会の巻

いつもお世話になっている『デトニの部屋』主人・デトニさんの呼びかけで、
“暁の『能登』を迎え撃つ”撮影会をやりましょう、という話が出た。
急行『能登』といえば、今や首都圏で拝める唯一のボンネット特急型の定期列車。私がときどき会社帰りに
実践している上野駅ウォッチングの主たる“標的”でもあるこの列車、たまには走っているところも
見たいなあ、と思っていただけに、ちょっと気になるハナシである。
実施日は6月30日の早朝。当初は都合がつきそうになく半ば諦めていたが、参加者のひとりY君が
車を出すというので、当日会社上がり直行で便乗なら行けそうだ、と
間際にトビコミ?参加をお願いさせていただくことになった。
金沢H編成以外にもワケはあって、日頃から中途ハンパな弊サイトを根強く応援してくださっている
みのるさん(HP)にお会いできる絶好の機会、というのもあったのだが。

当日はY君に夜中に会社に迎えに来てくれい、と頼んでいたのだが、予想に反して早く会社が
退けた(つっても10時すぎ)ので待ち合わせ場所を変更、レンタカーの小さなホンダ車で
ダラダラと17号国道を北上。途中白岡方面に寄り道してガストで夜食。
一服のあとは怪しげな広域農道をたどりつつ指定の場所へ。
しかし、約束の5時に対して一時間も早く着いてしまった。辺りは真っ暗、しかもヤブ蚊の襲撃にも遭い…

ホンダ車に乗ってきたのはY君とその友人チマ君と私、というメンツで、
あとはデトニさんとみのるさんがいらっしゃるハズなのだが、5時近くになっても
なかなかお見えにならず、ちょいと焦りだす約2名(約1名は車中で爆睡)。
けっきょくは15分前くらいにデトニさんが“白鹿号”で見参、さらに5分前にみのるさんもスクーターで登場。
みのるさん差し入れの冷たいコーヒーをゴチになりながら自己紹介タイム。
「いやあ、実際にお会いしてみると皆さん印象ちがいますよネ(笑)」などとひとしきり話に花が咲く。

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▲早朝の吹上に集結せし自動車部隊と田んぼの畦道で盛り上がる参加者一同(^^;

集合場所の撮影地は、区間でいえば高崎線の行田−吹上間、地元のみのるさん曰く
「ここ20年くらい変わっていない」という、道路と小川と線路が描くデルタの中の
ひろびろ田んぼが印象的な場所。天気はあいにくの薄曇りだが、
ISO400で1/250がなんとか切れるくらいの光量にはなってきた。
お目当ての『能登』は、予定通りなら5時12分頃通過というが、
ここ数日北陸を見舞った豪雨で、前日・前々日の同列車は数時間の遅れが出ていたそうで
待ちぼうけを食らう恐れもなくはなかった。
しかし、とりあえずは思い思いのポイントに散った一同の前を、ほぼ定刻に
能登はやってきてくれた。編成は事前情報のとおり国鉄色のH01。“ゲロ白山”色が好きだというY君は
ちょいと不満そう?だったが、さいわい各自手応えはまずまずの様子である。


▲銀塩機で撮った振り向きざまのデジカメ後追いショット。手前のヤブに埋もれてわかりづらいが、
電車の直下は、元荒川という小川に架かるやたらピアの低い橋梁である。 行田−吹上 2001.6.30

あとは適度に間を置いてやってくるさまざまな列車をついでに押さえる。
暁の夜行は、能登のあとを追うように『北陸』『あけぼの』がお出まし。貨物はコンテナ・青ワムハチ・
タンカー&セメント車のミキストがやってきて、カマも新旧色PF・F、パーイチ、
ロクヨンの1000といろいろ。そして電車は115や185などだ。
あたりまえ度の高さでは115系が筆頭だが、「これも油断してると見れなくなっちゃうんですよね」なんて
話をしつつ畦道での列車ウォッチング。
そうこうしているうちに時間も6時を廻り、各人あとの都合もあるためお開きとなった。
私は結果的に徹夜だったけれど、楽しいひとときでした。皆さんありがとうございます<(_ _)>。

撮影地をあとにし、白鹿&ホンダ組は朝メシでも食ってから帰りましょうヤ、と
17号国道を南下するも、街道沿いにもかかわらず朝からやっている飲食店がてんで見当たらず、
開いているロイホをみつけたときにはすでに上尾市内に突入済み。
“7時前”というのは案外鬼門なのですねえ。


★2001年6月23日/とりあえず正規開業の巻

ことし2月の仮開業から早4ヶ月以上。
思うままにコンテンツを増やせずジクジたるものはありますが、
これ以上ダラダラと“仮”を続けていてもしょうがないので、
このたび見切り発車的に“正式開業”を謳うことにしました。
今後ともご愛顧の程よろしくお願い致します。
強いていえば、今回はダメ押しで仮アップのページを密かに増やしております。
単に見苦しいだけという説もありますが…<(_ _)>

正規開業に踏み切った理由はもうひとつありまして、
今までのプロバイダのホームページ容量の問題です。
現行料金では上限が5MBしかないため、仮開業状態とはいえそろそろ満杯になってきました。
むろん追加料金を払えば増量はできるのですが、せっかくだから
これを機に去年のうちに押さえておいたドメインを使うことにするか…と思い、
50MBのサーバーを新規に借りることにしたのです。
現状の総容量5〜6MBには分不相応もいいところですが、早めに埋めてかないと
毎月の使用料がモッタイナイから、多少焦って更新を進めざるを得ない…という効果?も
見込んでのことなのですけれど、ハテどうなることか。

本編が進まないかわりといってはなんですが、宣伝をひとつ。
来る7月下旬発売のRMM誌に私の模型が載ります。
なんのことはない、弊サイトで紹介済みのアレですが。
ここしばらく作品の手直しやら原稿書きやらに追われていたのですが、
先週末ようやく手許を離れてくれたのでヤレヤレといったところ。
でも、載るのはいいが、いろいろアラが目立ちそうで不安でもあり、
校正の上がりが気になる今日このごろであります。


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