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Color Gallery 総天然色の“水口”<特別編>
 ドクトルもりこーの
水口訪問記

文と写真:森川幸一



 ▲“先代”2号機の列車。従えたトロには畳が満載。
 

が"水口"へ足を運んだのはかれこれ20年以上も前の話になります。
 古いネガケースから当時の写真を引っ張り出し、改めてその日付を確かめると“1981.08.27”。長者丸殿の初訪問のちょうど10年前という事になりますが、その相違点に驚きを隠せません。正直云って、あんな所の車輛なんて、いつ行っても変わりがないだろうと思っていたのですが、私の見たロコは2輌とも廃車になってしまっていたのですね。そしてディーゼル化。
 せっかくの機会ですから、ここで私が訪れた当時の記憶を辿ってみることにしましょうか。

 その日は、富山を出る時からどしゃ降りの雨。3段式の折り畳み傘では、さほど大きくもない私の身体すらカバーしきれない程でした。そうそう、この時は友人のHも一緒だったのですが、何と彼に到っては傘を持ってきていないのでした。まったく、まずい時に来たもんだな〜。
 何はともあれ、富山地鉄を有峰口で降りて、5万図を頼りに歩き始めました。
 発電所のモーターの捻りをいくつか聞き過ごし、どれくらい歩いたでしょうか、ようやくそれらしき場所に辿り着きました。そう、小口川第二発電所です。今も変わらぬ索道のゴンドラ。2003.8.12  P:長者丸
そこで作業員のオジサンに軌道の事を訊くと、この谷の向こうの山の上だと言うではありませんか。
 エ〜ツ!まだ先なの?しかもあんな山の上ツ!?…疲れの色も隠せぬ我々はそれこそお先真っ暗になってしまいました。そこへ、かの作業員のオジサンから“何ならこの索道に乗っていくかい?<★註>”という甘い誘い。我々は一も二もなく飛びついたのです。
 "ちょうどこの畳を上に揚げてるから、畳の上に乗っていけばいいさ"なんて言われましたが、畳はすでに10枚位ゴンドラの上に乗っていたので、我々の乗る余地はなく、"あの〜、この次のにしたいのですけれど〜"と言って、このゴンドラを見送りました。
 カラカラカラ、とケーブルの鳴る音と共にゴンドラは深い谷を渡って行きました。と、どうでしょう。上から降りて来た空のゴンドラと畳が接触してしまい、アッという間に谷底目指して畳は舞い落ちていったのです。それはまるでスローモーションの映像を見るかのよう―オイオイ、俺たちあのゴンドラに乗ってたかも知れないんだよな?という言葉も出ない程に寒気がしたものでした。
"オイ、どうする?歩いて行くか?"…鳩首会談です。
 しかし、疲れ切っていた我々は、事態を良い方向へと解釈し、"あれは畳が乗っていたから接触したわけで、二人だけなら大丈夫なんじゃない?"という結論を出して、次のゴンドラに乗ったのでありました。イラスト:一日一膳さん
 我々の見解が正しかった証拠に、二人とも今日に到るまで無事生存しています。私はいま片手打ちのキーボードの空いた手に耳カキを持って恍惚としており、友人Hは他人の口の中を覗いて金を稼いでいる、といったぐあいに。
 なんとかかんとか、辿り着いたケーブルの山頂にはトラックが待っていました。何ツ?まだ先なの?しかし、このトラックの荷台に乗せてもらう事が出来てひと安心。軌道の起点まで連れて行ってくれました。
 「おおおおっ!こここれが、かの"水口"か!」
 待っことしばし、姿を現したのは正しく水色の水口ロコでした。その頃になると雨も小降りになり、うっすらと靄がかかっている程度になりました。
聞くと"今日は列車は一往復だけ"という事なので、我々は便乗しながら時折降りて先回りして撮影する方法を採ることにしました。写真にブレが多いのはそんな理由からなのです。途中、交換設備のある所には橙色の相棒がいました。興奮のるつぼと化した我々はシャッターを押しまくりました。しかし、今改めてネガを見てみると、いかに枚数を稼がなかった事か!数えてみたら、たったの26カットですからね。
 興奮のうちに着いた所は、終点にある例の合宿所。晩生な我々は、合宿所でお昼をご馳走してもらうでもなく、唯ひたすら折り返しの便を冬期歩道のトンネルの中で待っていたのでした。持参した柿の種をつまみながら―
 ようやく回りの気配から、索道方面へ折り返す便が出る事を察知した我々は、来た時と同じ方法で列車に便乗しました。いくら遅いとはいっても、走っている列車から飛び降りて撮影して、また飛び乗るというのは、ヘビースモーカー+極度の運動不足(運動嫌い)の私にとっては、かなりきつい行為でした。
 帰りのゴンドラに乗る時は、先ほどの悪夢が一瞬よぎりましたが、もう度胸がついてしまった我々に躊躇いはありませんでした―
 あれからすでに二十数年。恐らく再び訪れる機会もないでしょうが、"水口"と聞くと、あのゴンドラの記憶が鮮やかに蘇るのです。



★管理者註:森川氏が訪問された時代は、索道のゴンドラに現場の人間が便乗していたことがしばしばあったようだが、のちに転落事故があった(その人は幸い軽傷で済んだという)のを機に、便乗は禁止されて今日に到っている。
 


 

 

  左:軌道の起点にて。機関車は初代2号機。パッと見“水色”ではあるが、
  もともと淡緑色だったものを部分的に塗り直したような感じだ。
  積み替えているタタミは、一度谷に落ちたものだろうか?

  上:便乗させてもらったトロッコから運転台越しに一枚。
 



終点・小口川第三発電所にて。現場の人たちは積荷のタタミに雨除けのシートを被せて,、合宿所にお昼を食べに行ってしまったのであろうか。



靄のかかった、鬱蒼とした森の中をゆく列車。


 
 
起点から2番目にあるオメガカーブの様子。右の写真はその13年後(1994.9  長者丸撮影)だが、昔がいかに“ヘロヘロ”だったかがお解りいただけよう。



上りの列車が、もう1台のエンジン(右、初代無番号機)が休む側線をかすめる。終点(軌道の起点)まであとひといき。

<特記以外 1981.8.27著者撮影>
 


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